沖教組の歴史
沖教組は敗戦後の混乱の時代に、子どもたちの将来のために立ち上がった教師たちによって、結成された「沖縄教職員連合会」に始まります。その後、「沖縄教職員会」として焼け野原だった学校に「戦災校舎復興運動」を通して教科書や教育備品の受け入れをし、戦後の教育に力を注いできました。また、米軍占領下で植民地教育を許さないために「教育基本法」をはじめとする「教育四法」を立法化させ、復帰のめどが立たない時代に「日本国民」としての教育の指針を確立しました。さらに、祖国復帰運動の中心的な役割を果たし、戦後初の主席公選では、当時の教職員会会長の屋良朝苗先生を当選させました。その後1971年に「沖縄県教職員組合」として労働組合に発展移行し、現在に至っています。
その間も、私たちは、子どもたちの健やかな成長を願い、「学習権の保障」「わかる授業」「楽しい学校づくり」をめざして、平和と民主教育の確立のため努力してきました。さらに日教組に加盟し、「教え子再び戦場へ送らない」を基本理念とし沖縄県の子どもたちの未来を創造するため活動をしています。
最近の出来事
2010年度
4月: |
臨時教職員部結成 |
5月23日: |
鳩山首相の県外移設撤回への抗議集会 |
8月: |
夏休み分会訪問、145分会1200余人の参加 |
3月: |
沖教組の新規加入者415名で過去最高を記録 |
2011年度
8月23日: |
八重山地区教科書採択協議会にて社会科公民問題 |
9月8日: |
八重山地区全教育委員会にて社会科公民「東京書籍」に決定 |
9月: |
宮古地区学校統廃合問題でオルグ活動 |
11月23日: |
八重山地区教科書県民大会「カデナ町民会館」 |
12月17日: |
「平和の夕べ」琉球大学学生による「孫が伝える沖縄戦」沖教組研究所主催 |
3月11日: |
東日本大震災 |
3月21日: |
会計検査院による「欠勤届・給与返還」強制を許さない署名、(3122筆集計) |
2012年度
9月9日: |
「オスプレイに反対する」県民大会(10万3千人参加) |
10月: |
オスプレイ普天間基地強行配備「12機」 |
12月16日: |
衆議院選挙、自公政権に再交代 |
2月28日: |
「欠勤届・給与返還」問題、県人事委員会からの勧告、沖教組の主張全面的に認める |
2013年度
4月: |
沖縄県教育会館、一般財団法人に移行完了 |
8月: |
オスプレイ追加配備強行「24機体制」 |
11月3日: |
全国平和護憲大会、沖縄那覇で開催 |
1月19日: |
辺野古新基地反対の稲嶺進名護市長再選 |
3月31日: |
臨時教職員の3月31日、4月1日の空白日問題解消 |
2014年度
4月9日: |
教科書無償措置法改正、八重山教科書問題一応の決着、竹富町単独採択区に |
6月28日: |
沖教組第50回定期大会開催 |
11月16日: |
沖縄知事選挙、翁長雄志さん10万票差で当選
那覇市長選挙、城間幹子さん大差で当選 |
12月14日: |
衆議院沖縄4選挙区、赤嶺政賢「1区」、照屋寛徳「2区」、玉城デニー「3区」、仲里利信「4区」で反自民候補完全勝利 |
1月: |
辺野古・高江新基地工事強行、現地闘争激化 |
3月: |
新規加入360名で6年連続純増達成 |
2015年度
11月20日: |
日教組全国代表者会議沖縄開催「日教組機関会議は31年ぶりの開催」 |
12月: |
辺野古埋立代執行訴訟、抗告訴訟 |
2016年度
6月: |
県議会選挙で沖教組推薦議員が27名当選 |
12月: |
辺野古埋め立て訴訟、最高裁不当判決 |
1月13日: |
オスプレイ辺野古付近に墜落 |